むかし、をとこ、女、いとかしこく思ひかはして、こと心なかりけり。さるを、いかなる事かありけむ、いささかなることにつけて、世中をうしと思ひて、「いでていなん」と思ひて、かかるうたをなんよみて、物にかきつけける。
いでていなば心かるしといひやせん
世のありさまを人はしらねば
とよみおきて、いでていにけり。この女、かくかきおきたるを、「けしう、心おくべきこともおばえぬを、なにによりてか、かからむ」と、いといたうなきて、いづかたにもとめゆかむと、かどにいでて、と見かう見、見けれど、いづこをはかりともおぼえざりければ、かへりいりて、
思ふかひなき世なりけり年月を
あだにちぎりて我やすまひし
といひて、ながめをり。
人はいさ思ひやすらん玉かづら
おもかげにのみいとど見えつつ
この女、いとひさしくありて、ねむじわびてにやありけん、いひおこせたる。
今はとてわするる草のたねをだに
ひとの心にまかせずもがな
返し、
忘れ草ううとだにきく物ならば
思ひけりとはしりもしなまし
又々、ありしより、けにいひかはして、をとこ、
わするらんと思ふ心のうたがひに
ありしよりけに物ぞかなしき
返し、
中ぞらにたちゐるくものあともなく
身のはかなくもなりにけるかな
とはいひけれど、おのが世々になりにければ、うとくなりにけり。