伊勢物語 - 021

 むかし、をとこ、女、いとかしこく思ひかはして、こと心なかりけり。さるを、いかなる事かありけむ、いささかなることにつけて、世中をうしと思ひて、「いでていなん」と思ひて、かかるうたをなんよみて、物にかきつけける。
  いでていなば心かるしといひやせん
   世のありさまを人はしらねば
とよみおきて、いでていにけり。この女、かくかきおきたるを、「けしう、心おくべきこともおばえぬを、なにによりてか、かからむ」と、いといたうなきて、いづかたにもとめゆかむと、かどにいでて、と見かう見、見けれど、いづこをはかりともおぼえざりければ、かへりいりて、
  思ふかひなき世なりけり年月を
   あだにちぎりて我やすまひし
といひて、ながめをり。
  人はいさ思ひやすらん玉かづら
   おもかげにのみいとど見えつつ
この女、いとひさしくありて、ねむじわびてにやありけん、いひおこせたる。
  今はとてわするる草のたねをだに
   ひとの心にまかせずもがな
返し、
  忘れ草ううとだにきく物ならば
   思ひけりとはしりもしなまし
又々、ありしより、けにいひかはして、をとこ、
  わするらんと思ふ心のうたがひに
   ありしよりけに物ぞかなしき
返し、
  中ぞらにたちゐるくものあともなく
   身のはかなくもなりにけるかな
とはいひけれど、おのが世々になりにければ、うとくなりにけり。

伊勢物語 - 022